2008年6月8日 但馬竹田城〜柏原
 竹田城の帰りも、当然下道を走ります。今まで、春日から176号線で走ったことが無かったので、新鮮です。その道すがら、「城下町柏原」とありました。寄ってみましょう。
 こじんまりとした城下町ながら、江戸〜明治時代の建物が残っていたり、色んな人物を輩出した土地のようです。

まずは観光案内所へ。ここの親父さんに話を聞きます。
水戸黄門のモデル?の助さんが存在していたそうな!?
観光案内所からすぐ目の前に史跡があります。
織田神社
織田信勝を祀っています。信勝は、信長の弟である、織田信包の孫にあたります。世継が無く、お家断絶。
八幡神社
1024年創建。明智光秀の丹波攻めで戦火にあったが、秀吉が堀尾茂助に命じ、再建させた。
木の根橋と旧柏原町役場
樹齢1000年とも言われる大ケヤキの根が、6mの奥村川をまたいで自然の橋を作っています。
太鼓櫓
江戸中期に建てられた3階建てのやぐら。最上階には「つつじ太鼓」という大太鼓があります。
八幡神社奥の三重塔
鮮やかな朱色の三重塔。神社に三重塔があるのは珍しいです。1816年に再建
八幡神社 
桧皮葺屋根の本殿・拝殿は国の重要文化財
旧氷上郡各町村組合立
高等小学校校舎

女子高にもなったりしたそうです。県で4番目に出来た学校だったとか。
左の校舎です。ノスタルジックな雰囲気を醸し出しています。いいですね〜。以前はシャンデリアのついた講堂もあったそうですが・・・残念! 柏原藩陣屋跡
柏原藩には城は無く、この陣屋で政務を行っていました。この長屋門は1714年、陣屋創建当時のままです。
陣屋内。以前は小学校の建物として使われていたそうです。この陣屋内に、職員室、保健室、図書室等あったそうです。 織田の家紋 「雪の朝二のじ二のじの下駄のあと」
の句を6歳で詠んだと言われる江戸初期の女流俳人の「田ステ女」。
田家は現在にも続いてる名家です。

 この柏原藩は、信長の弟の織田信包から始まりましたが、3代藩主の信勝の時にお家断絶になりました。しかし、その5年後の1695年に、信長の次男、織田信雄の子孫の織田信休が大和郡山藩から柏原へ国替えとなり、以降10代にわたり、明治になるまでこの地を治めたということです。
 小さい町ですが、史跡がぎゅっと詰め込まれていて、飽きない町でした。陣屋の道路向かいに歴史民族資料館(小さいものですが)があります。夕方閉館前に行ったからか、入場者は私一人。ゆっくり見学させていただき、学芸員?の方から色々とお話を聞かせていただきました。陣屋が小学校の施設として使われていたときの小学生だったそうです(*^_^*)

 柏原を出て、篠山との境に「鐘ヶ坂トンネル」があります。今は地下をくぐって抜ける綺麗な「平成のトンネル」が出来ています。それまでは「昭和のトンネル」が使われていました。その昭和のトンネルが出来るまではというと・・・「明治のトンネル」が使われており、未だに残っています。普段は通行が出来ないように柵がしてありますが、お祭りの時には、明治のトンネルを通るそうです。
 ちなみに、日本で5番目に作られたトンネルで、レンガ積みとしては、日本最古だそうです。鹿児島から来たレンガ職人が焼き、28万枚も使われているそうです。

昭和のトンネル。当然普通に通れます 明治のトンネル。隧道フェチにはたまりましぇん!
 
 下道をのんびり走るのも、新しい発見があり、楽しいですね〜

 PS・ 奥歯に挟まった牛スジは、家に帰るまで取れませんでした。帰宅後、即つまようじでシーシー・・・